我が母は、孫に死を教える最後の役目を終え、お釈迦様の弟子となりました。慌ただしい一週間。戸籍謄本は0413だけではなく隣の市へ。それでも生後にまで遡れず。母のルーツを探るプチ旅行でした。まだまだ残務は残ります。
ノーラジオな一週間が終わろうとしています。
・・・東京に戻りました。
実家には一人になってしまった父が。申し訳ないというか。
亡くなった日の早朝には看護師さんには反応していたそうですが、その後危篤。そのまま帰らぬ人に。前日、19:00頃、病室から実家に戻る際に「また明日ね」と交わした言葉が最後でした。私が最後に会話した家族と言う事のようです。会話できただけよかったかもしれません。みんなもう一日早く来れたらと後悔の言葉。私も夜付き添ってあげればよかったと後悔。別れ際には私の手を強く握り返した母。最後の別れを惜しんでいたのでしょう。
病院から緊急招集のかかった翌日、病室に入るなり私に、もうだめかもしれないからと片付けを私に言いつける。履いてきた靴までも片付ける様に、持ち帰るようにと。浮腫んだ足が入るサンダルでも用意すれば元気に家に帰れたのだろうかとも考えたりして。母の姉と親戚、東京の孫や妻は声を聴くことは出来ず・・・
亡くなってからは、悲しむ余裕が無く慌ただしい毎日。東京に戻り、ブログを書き込みながら込み上げるものを堪えている。