年老いた父親が救急搬送されて3週間が経ちました。
保存療法でいい状況なので、翌日退院し現在に至ります。
ただ、思いの外老いは進んだというのが第一印象です。
終焉が近いのかなとも感じさせます。
実家から自宅に戻るべきか、居残るべきか。
置いて行く事が厳しいように感じます。
介護保険の暫定利用で週1でヘルパーさんが来るものの、週1どころか父が起きているすべての時間支援が必要なのではと感じます。残して自宅に戻る事への罪悪感。今日戻る予定をあと数日延ばしました。
昨日は、辛すぎて思わず日中泣いてしまいました。
今日は今日で、二人で過ごす時間が貴重な時間なんだなと噛みしめながら裏の畑から収穫を少しだけ。
家族の顔が見たいし、子供たちの成長も見届けたいし。どちらも選ぶことが出来ずに。
結構ツライなと。
そんなことを考えていると、そもそも家族って必要だったのか。私自身生を受けて、私の終わりを誰が見届けてくれるのか。迷惑を掛けてしまうのが申し訳なくて。生きる事自体無意味なのではと。
生きるのって、とてもツライですよね。
二日後の4/30に書き足しています。
帰ろうと決めた日が近づくに従い、ワクワクだったものがまた帰ることに罪悪感を感じるようになってきました。この繰り返しです。季節が流れ汗ばむ季節になり、活動的になってくれると信じて実家を後にしたいと。
5/4に更に書き足します。
東京に戻ってきました。所属するBユースの練習試合があります。残念ながら倅の怪我もあり、プレイタイムは少なめです。いいプレイもありました。反省すべき点もありました。3試合目でしょうか。前半から出場し、マッチアップは相手ビッグマン。体重が倍くらいありそうです。リバウンドに入らせずいいディフェンスをしていましたが、途中競って上から覆いかぶされ痛めている足をまた痛めてしまったようです。完治するまでまだまだ時間が掛かりそうです。暫くBチームは続きそうです。
色々とツライです。そんな中、映画をみました。テーラーが出てきました。時期が来たら倅に1着作ってあげたいなと。私も18歳にオーダーで作ってもらったので。それはそれで希望と言いますか、生きる意味とでもいいますか。