学式でした。高校です。都内の私立。バスケの強豪校ということになるでしょうか。
ただ、全国でいえばそうでもない、という話になるかもしれません。
記念撮影を。倅の方を抱き、やはりうれしいもんです。もっと大きい背中だとよかったのですが、180cmはないくらいです。でもまあ、何歳になってもかわいいもので。娘もおりますが、さすがに異性なので扱いが難しいです。
父の介護で8か月ほど一緒に暮らしましたが、父の体調が良ければ一緒に飲んで父の話を聞きました。
後になって気づいたのですが、父の私に対する表情って、基本優しかったなって。私の今感じている勘定と同じだったのでしょう。
高校3年。大学4年として、あと7年。元気に働けるといいのですが。
正直、8年目にはくたばってもいいのかなって。私の責任を果たせば。気がかりはヨメ。責任を果たしてないじゃないかということになりますね。大柄な私が介護にでもなったら、誰も私を抱えることができないですし、元気なうちのぽっくり行くというのが理想だと考えています。
親や親族名後の土地や建物の名義も変わり、グダグダ言われる筋合いは何も残っていない現状。まあ、実家の処分とか墓とかどうするのよ?」という話はあります。特に墓。秋田の実家に帰る用事も墓だけです。秋田にルーツがあるということを忘れないためにも、子供たちは秋田にたまには行ってほしいと願うところもあって、墓は残してほしいです。亡くなった伯母との約束でもあるし。
話は高校に戻ります。中学では中1こそ部活に入ってはいましたが、2年3年とユースチームにいた都合、学校で仲間とワイワイということがありません。そんな思いもあるのか、入学式で学校に向かう途中、バスケ部の仲間を見るとすぐに、一緒に行くからと言って我々と行動を別に。そういうのって本当に楽しいよね。苦しいときも悲しいとき、そして嬉しいときに思いを分かち合い励ましあい、3年間を過ごして欲しいです。クラスは顧問の先生が担任という。どういう縁なのか。顧問の先生のように、科目はなんであれ、教職をとって欲しいものです。高校になった時の先生との出会いは、人生においてかなり影響力のある出会いになるようです。娘の時もラクロス部の顧問の先生との出会いにかなり救われたようです。ありがたいです。先生という立場の方々には感謝しかありません。生徒と一生懸命向き合うには、やはり志ということなのでしょう。先生の志に甘えるようで恐縮ですが、よろしくお願いしますと、そんな思いです。
嬉しいこと。娘の就職と倅の入学。
悲しいことが癒されない。
母、父、叔母の他界は。ことあるごとに思い出すと涙が出ますね。