諸事情により広島

諸事情により広島へ。3/15の夜行バスにのり、3/16の新幹線で戻るという弾丸ツアー。
到着時間が早いので、原爆ドームへ。なんとも言えない思いが込み上げてきます。驚いたのは欧米人が多いという事。欧米人ではなくて全て米国の人?なのかもしれません。彼らがどういう思いで見ているのかわかりませんが、何かしら思うところはあるのでしょう。平和であって欲しいものです。生まれ育った場所で皆が暮らして欲しいし、国内だけでなく世界の秩序も失われつつある状態に残念な気持ちで仕方ないです。原爆ドームから歩いて50mくらいの所が爆心地。石碑があります。ここでも米国の方と思われる団体が足を止めていました。
普通の観光地は様々な国の方を目にすることがありますが、たまたま私がめにしたのは、アジアの国々の方はいません。ほとんどが米国の方。米国と断定することはできませんが、ヨーロッパの方もアジアの方と同じような思いかもしれません。落とした国の人と落とされた国の人だけが心を痛ませているのではと思いました。

昭和20年8月6日午前8時15分広島
昭和20年8月9日午前11時2分長崎
昭和20年8月14日 正午過ぎポツダム宣言受諾
昭和20年8月15日正午昭和天皇による「終戦の詔書」の朗読(玉音放送)
昭和20年8月26日祖父暹羅メービンにて戦病死
(本籍地に届いた死亡告知書、戦没者名簿も8/26)
昭和20年9月2日連合国軍の降伏文章に署名。国際法上の戦争終結
昭和21年9月11日遺骨到着
(恐らく仲間がかみ切って持ち帰ったとされる小指が到着した日付なのでしょう。秋田県庁に照会を依頼し、届いた戦没者名簿の写しに書かれていた日付)

良い行い、悪い行い、様々だったのでしょう。
原爆を落とされることなく集結して欲しかったし、戦争は起こらないで欲しかった。
戦争で翻弄された祖父、祖母、父、母、伯母。
戦争を経験した人間が家族ではいなってしまいました。
現在、祖父の資料を入手すべく、祖父の本籍地に依頼中
2026/03/23秋田県庁から戦没者名簿の写し到着

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